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1月 2024

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病院にて

先日8か月ぶりに、勇気を出して母に会いに行ってきました。

自分の母親なのになんて親不孝な奴だと思われるでしょうか。

昨年の5月に癌と告知された時に施設に簡単に事情を説明して、「暫く会いに行けないけれどどうか母をお願いします。」と言ったきり私は1度も母に会いに行っていませんでした。

私を娘と認識出来なくなった母ですが、私はどうしても母に癌になってしまった姿を見せたくなかったのです。

母に申し訳ない気がして。

手術が終わって退院したら行こう、抗がん剤が始まる前に行こう、終わったら行こう、元気になったら行こう・・・でもいつまで経っても私は元気にはなれませんでした。

抗がん剤4回目が終わった後に、『なんか良くなっている気がしないなぁ。』とふと思った事がありました。

そんな事を思ったら良くなるものも良くならないと必死で自戒しましたが、その予感は打ち消しても打ち消しても消えませんでした。

もう1回で抗がん剤治療が終わると言いながら、治療が終了した年末も大して嬉しくありませんでした。

そしてお正月明けのCT検査の結果は転移の疑いあり。

やっぱり、でした。

今は更に詳しく検査をして来週末の結果発表を待っているところです。

悪い予感ってどうしてこんなに当たるのでしょう。

元気になったら行こうと思っていた私ですが、それがいつになるかわからなくなったので母に会いに行ってきたというわけです。

母は8か月前と変わらず元気でいてくれました。

私を誰かわからないけれど全然知らない人ではないなという様な微妙な顔をして見ました。

「握手しよう。」と言って母の手を握ると、何故か母は私の手や腕を撫で始めました。

子供の頃から母は私が疲れていると必ず、「俯せになってご覧。背中を押しておげる、楽になるから。」と。

それを思い出して私は堪えていた感情が吹き出して・・・

娘が、「お婆ちゃん、私も撫でて。」と手を出したのですが、母は娘の手を一瞬握ってポイッ!笑

また私の目を真っ直ぐに見て手を撫で始め、それは面会時間が終わるまで続きました。

まるで母がわかっているよと言ってくれている様で、大丈夫だと励ましてくれている様で、

「お母さん、私、癌になってしまったわ。ごめん。お母さん・・・助けて。」

娘ほどの若い先生が、「転移していたらですが良く効く薬があります。良く効いて完治した方もいます。」と言ってくれました。

私は先生が私を家族の様に思い最良の治療をして下さっていると信じています。

ここが私の頑張りどころなんだと、不思議な事に癌に罹患して初めて今、私は強くそう思います。

また不安と恐怖と孤独に押しつぶされそうになり涙が止まりませんが、何度突き落とされても私は必ず立ち直り闘い始めます。

もう直ぐ復帰と思ったけれどどうなるでしょうかのお知らせでした。🙇‍♀️

御代田にて

明けましておめでとうございます。

本年もどうぞよろしくお願い致します🙇

今年は元旦から悲報続きで心穏やかなお正月とはならず、寒さがことのほか厳しく感じられます。

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

数年前に1週間ほどかけて車で愛知、福井、石川、富山と旅をしました。

私はその時が初石川県で母から輪島塗りの食器を譲り受けていた事もあり、旅のメインを石川県に設定して他県より長く滞在しました。

金沢市内を楽しんだ翌日、車は輪島朝市通りから能登半島、そして和倉温泉へ。

半島一周の途中で立ち寄った珠洲市塩田村の塩ソフトクリームは絶品で、今でも我が家が旅先で食べたご当地ソフトクリームの不動の1位、忘れられない味になりました。

帰宅してから何度も旅の記録を写したビデオ鑑賞をしては、「またあの塩ソフトクリームを食べに行きたいね。だけど能登半島は遠かったよねぇ。」と懐かしく話していました。

揺れが落ち着き震源地は何処だろう?とテレビをつけたら、見覚えのある街並みの変わり果てた姿が映し出されショックで固まってしまいました。

そしてその翌日の羽田の事故。

こんなお正月は初めてです。

東北の地震から数年後に、車で被災地をぐるりと周りました。震災中から落ち着いた頃に被災地を訪ねたいと思っていて、やっと念願が叶った旅でした。目についたお店というお店に入って行ってワカメを買ったり海苔を買ったり手を合わせたり。

たったそれだけしか出来ませんでしたが、それが私の気持ちでした。

石川県にもまた必ず時間を作って行こうと思います。

昨年は私にとって苦難の年でした。サービス業の端くれとして、ここでは話したくない辛い事が沢山起きました。

でも私は何故かまだ生きています。

生きている事が当たり前だった毎日が突然終わった時、その意味や理由を何度も探しました。

そしてわかった事。

私は私の生に意味が欲しいだけで元々理由は何もなく、私はたまたま産まれてきて生き存えているのだという事。

私はたまたま産まれてきましたが、今生き存えているのには理由があります。

私には辛い時に辛いと正直に話せる家族や医療関係者や大丈夫だと支えてくれる友人や、回復を待っていてくれる人が傍にいます。

励まし合って一緒に生きて行きたい人が沢山います。

1日も早く元気な私に戻って今度は私が、「あの時はありがとう、大丈夫だからね。」と言う番です。

私が今も生きているのは孤独ではなかったからです。

今、年末に6回目の抗がん剤治療を終えて火曜日に各種検査を済ませ、金曜日の検査結果を待っているところです。

何度経験してもこの待ち時間は不安で慣れません。😿

どうかまた皆さんのパワーを送って下さい。

良い結果を聞きせっせとリハビリに励み、1日も早く職場復帰したいです。

皆さんにお会いして、「ママ、良く頑張ったね。」と褒めてもらう為に頑張ります。。笑

今年も本当に本当によろしくね。

すっぴんでウィッグ