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Author: もあママ

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厳しい残暑が続き、もう暫くは熱中症アラートの文字を目にすることになりそうです。

皆様、お変わりございませんか。

今年の夏休みは秋田、青森、岩手、福島へと旅をしてきました。

以前の東北旅行は海側をぐるりと巡ったので今回は内陸部を中心にゆっくり移動しながら大自然を楽しんできました。

私は毎朝の飲む抗がん剤と3週間に1度の化学治療を続けていて少し副作用がある為、血圧計や医薬品をどっさりキャリーに詰め込んでの出発となりました。

旅は良いです。

日常が日常化し過ぎて不思議がる事さえ難しいから、そこから少し離れて部外者的視線で自分を見て微調整するという意味で、私にとって旅の役割はとても大きく重要だと感じています。

立ち寄った道の駅の食堂で一生懸命にネギを切るお婆さんや丁寧にりんごジャムについて説明してくれた店員さんやどっしりと構えた山々や静かな湖畔に沈む太陽、いつもと違う風景がつい早足で歩きたがる私に、『ゆっくり落ち着いて歩く様に。』と教えてくれます。

深夜の誰もいない露天風呂で星空を見上げていたら、“なる様にしかならないんだから自然に任せよう。”と思えてきて心が安らぎました。

東北地方ありがとう、また会いに行きます。🤭

2度の手術を終えて新しい抗がん剤治療が始まり副作用も思ったほど辛くなかったので、念願の職場復帰を果たしました。

4月下旬の事でした。

週1から始め、ご予約を頂いた夜だけ出勤、それから徐々に出勤日数を増やしていき最近はほぼ毎晩お店に出ています。

早くも疲れが見えてきました。笑

1年振りにお会いした皆さんに、「ママ、おめでとう。良かった。」と言って頂きいつも泣きそうになって崩れ落ちそうになっています。

お会いしたかった皆さんが目の前にいる安堵と絶望や不安や痛みに耐え続けた1年間が一瞬で蘇り、言葉に出来ない感情が込み上げてくるのです。

来る日も来る日もベッドに横になり落ちる点滴を黙って見上げながら、何度お店に立つ自分を夢見たことでしょうか。

罹患して初めて私は1人なんだと実感しました。

1人だと知ったからこそ、支えてくれる家族や皆さんの温かい励ましの有り難みに気づけました。

私は弱虫だからこんな怪物に1人ではとても挑めません。

突然コロナの渦に巻き込まれ早々に休業を決めやっとの思いで営業を再開した直後の癌の告知、あの日から長い時間が経ちました。

気づけばお店はしぶとく残り、なぜか私は今も生かされています。

苦しい数年間でしたが私はそれを辛そうに話し続けたくありません。

私が経験した全ては私にとって大切な一瞬一瞬の積み重ねで誰のものでもないと思うからです。

残念ですが癌とは今後も長い付き合いになりそうで、決して体調の良い日ばかりではありません。

それでもどうせ生きるなら楽しい事を見つけてケラケラ笑って過ごしたいものだと思います。

ヘルプ〜!!と訴えたら、トリルや私を助けてくれる女の子達がたくさん集まってくれました。

皆んな若くて明るくてサバサバしていて個性豊かで、キラキラ✨✨しています。

私はそんな頼もしい皆んなの力を借りて肩の力を抜きいつも通り正直に、ケ・セラ・セラと・・・

皆さんをいつも待っています。

どうぞ会いに来て下さい。

お出掛けは陽が沈んでから。。。

穂高ロープウェイ山頂にて

季節は春から夏への変わり目ですが、皆様お障りなくお過ごしでしょうか。

先日都内を脱出して愛知県、三重県、滋賀県、岐阜県、長野県をゆっくりぐるっと観光してきました。

高山市内から穂高ロープウェイへの道中は桜が満開でした。

歴史や神社仏閣や有名な山や食べ物に全く興味がなく、大浴場も苦手な割に旅好きな私に、「旅行に行きたがるけど、何が楽しいの?」と家族が不思議そうに聞いてきました。

確かに何かに感動してわぁ〜っと歓声を上げたことはないし、いつも通りで特別な顔はしていないかもしれないけれど、だからって楽しんでいないわけじゃない。

普段はバラバラ生活の家族が集合して行ったことのない場所に行き同じ物を見ること、家族の楽しそうな顔を見ること、一つずつ思い出が増えていくことが私は嬉しいのだと思います。

次回は連休中に診察をと言われて長期旅行で来られないと話すと、「遠くで倒れても助けに行けないよ。」と言いながら、「聞かなかった事にするからね。」と言って下さった主治医の大斗先生に心からありがとうを。。

お陰様で穏やかで楽しい時間を過ごせて、今後の治療も頑張れそうです。

さて日によって体調の良し悪しに変化があり前もっての確定が出来ない為、こちらでの告知は控えておりましたが、先月から密かに週1で職場復帰しました。

先月の出勤はご予約を頂いた夜と金曜日でした。

今月からは更に体調を整えつつ週末をメインに、週2、週3と徐々に出勤日を増やしていきたい考えです。

去年受けたTC療法は回数を重ねる度に副作用がキツくなり、皆様の前に座ることは叶いませんでした。

副作用が軽く職場復帰している方もいると知り、惨めで情けない数か月を過ごしました。

キツかった抗がん剤治療が終わり再手術も終わり4月から新しい抗がん剤治療が始まりましたが、その副作用がまた強い様なら誰にも黙ってひっそりとお店を閉めようと考えていました。

それが今回の抗がん剤の副作用は多少はあるものの、1度も寝込まず軽くて。

これは・・・

黙って働け!のサインかな?笑

アコちゃんともう1人、ご縁あって先月から友人も手伝ってくれています。

明るくて向日葵の様な女性です。

彼女も本職があり毎晩はいないので、前もってご予約頂けるととても助かります。

勝手ばかりお願いして申し訳ない事でございます。

悪いことの後には必ず良いことが起こるとは、残念ながら今はまだ思えない私です。

でも罹患してからずっと願っていたことがあります。

艱難 汝 を 玉 にす

かんなん、なんじをたまにす

人は困難に直面し、苦しみ悩みながら克服していくことでりっぱな人間になっていくという意味です。

立派な人になるのは無理ですが、困難を克服してもう少し優しい人になりたいと願ってきました。

そうなれているかどうか、是非見に来て下さいませ。

皆様にお会い出来る日を楽しみにしています。

春・吉日

4月2日、9日間の入院生活を終え帰宅しました。

地下駐車場からゆっくりと車が正門に差し掛かった時、私の目に飛び込んできたのは5分咲きの桜でした。

たった数日の入院でしたが久し振りに外の景色を見た気がして、わぁ〜と言った後は何も言葉が見つかりませんでした。

さまざまなこと 思い出す桜かな

そう詠んだのは芭蕉だったでしょうか。

いつかゆっくり桜の下を歩きながら、今の私を懐かしく思い出す日が来ると嬉しいです。

皆様、お変わりなくお過ごしでしょうか。

今回は入院初日に手術の為の検査をして、翌朝早くにポート埋め込み手術を受けました。

手術着に着替えていると看護師さんが迎えに来てくれて、2人でお喋りしながら歩いて処置室に向かいました。

処置室に入ると注射恐怖症だと訴える時間も与えられず、「はい、こちらを頭にしてゆっくり横になってくださいねぇ。」と看護師さんに促されあっという間に仰向けにされ、身体に装置をつけられました。

続いてどこから現れたのか頭の上で男性医師の声がして、「切開部分に印をつけますね。」「それでは麻酔から始めますね。ちょっとチクっとしますよ〜。」

チクッ!

ヒェ〜。

私は硬く目を瞑りピクリとも動かず、少しでも早く処置が終わる様に気絶したいと願いましたが無理でした。

病室に戻り鏡に映してみると、鎖骨の下にポコっと丸い舐めかけのチュッパチャップスが埋め込まれていました。

“いつの間にこんなの入れたんだろ?これ何色だろうか?”

その翌日から飲む抗がん剤の服用が始まりました。

更に埋め込んだばかりのチュッパチャップスに針を刺して所要時間30分の新しい抗がん剤の第1回目の点滴が投与されました。

前日に病室に来て下さった看護師長さんの、「抗がん剤の治療の時はこれはよく効くんだと思って受けてね。」とのアドバイスを信じて、ぽとぽと落ちる薬剤を見上げながら最後の一滴が落ちるまで、効け効け〜!効け効け〜!😆

命令か!

入院中は少し血圧が上昇した程度で副作用の症状はありませんでした。

どこも痛くないから暇で、スイッチで遊んだり映画を見たり院内をくるくる歩き回ったりして過ごしました。

歩いていたらすれ違った先生達に、「元気だねぇ。」「はい、元気です。ありがとうございます。」なんてね。

それなのに、あんなにあれだったのに退院した夜から、

血圧急上昇&頭痛&高熱&悪寒でダウン

知らない人に笑顔を振り撒きすぎたかな。

春・木蓮

先日お客様から満開の木蓮の写真付きで励ましのメッセージを頂いたので、このお花について少し調べてみました。
木蓮は上に向かって咲き、その様子が春の訪れを喜び歌っているように見えることから『自然への愛』と花言葉が付けられたそうです。
細い枝とは裏腹にずっしりとした花を咲かせることから『崇高』『高潔な心』や化石として発見されたこともあり恐竜が生存していた時代から自生していたとされ、『持続性』『忍耐』という花言葉もあるようです。

どっしりと大地に根を下ろした大木に大らかに咲く木蓮、もしも花に例えられるなら何の花が良い?と聞かれたら私は迷わず、木蓮でお願いします!と答えます。

皆様、お変わりないですか。

春ですね。

数日前に病院に行き、術後の経過と今後の治療について説明を受けてきました。

経過はとても順調で検査結果に何の問題もなく、ホッと胸を撫で下ろしました。

ただ今回も目に見える悪い細胞は全て取り除けたものの今後も再発予防の抗がん剤治療は必須だそうで、毎日の飲み薬と3週間に1度の点滴を35回投与予定とのことでした。

35回=7×3×35÷365??

この計算で合ってるのかな。。

なっが!笑

これまた去年と同様で今回も初回は副作用など様子見の為の入院が25日からと決まり、問題がなければ以降は通院治療になるそうです。

元々細い上に度重なる治療で私の血管はボロボロになってしまった様で、何度もカテーテルを入れ直す看護師さんは大変そうでした。

私は痛みや手首や腕の青あざや腫れを見て、すっかり注射恐怖症になりました。

その処置の為、2日多い9日間の入院です。

処置はポート埋め込みの1時間ほどの手術ですが、「麻酔の注射が怖い」と娘に嘆いたら、「身体に小さなロボットが入るんだと思って。」と訳のわからない慰め?を掛けられました。笑

次の治療の副作用が少なければどんなに良いかと思います。

私なんかよりもっと辛い状況の人も沢山いて、私はまだ恵まれている方だと思うけれど、もう少しだけで良いから健康になりたいと思います。

せめて1日だけでも癌のことを忘れられたら。

ところで今はまっている海外の長編ドラマがあるのですが、長編を観るといつも不思議に思う事があります。

初めは物凄く面白いのですが途中から、あれ?って展開がえらい事になってくる。

あれは監督のプレッシャーなのか気分なのか。

折角ここまで観てきたのに途中でガッカリ!が多いです。

普通で良いのになぁ。

因みに今見ているドラマはイギリスとスコットランドが舞台だったはずでしたが、何故か主人公は今ジャマイカで踊っています。🤪

それでは皆さま、またお会いしましょう。

病室にて

日毎に春めき、吹く風も心地よい季節になりました。

皆様お変わりございませんか。

先月の17日に再入院、19日に再手術を終え、お陰様で3月2日に無事に退院して参りました。

ご心配をおかけしましたのに、ご報告が遅くなってしまいごめんなさい。

昨年7月以来2度目の開腹という事で癒着があり長時間の手術だったそうですが、PET検査で再発は原発の直ぐ近くの1箇所と言われていた通りで完全に切除出来たと術後直ぐに報告を受けホッと一安心致しました。

また術前の予定より少し大きく開腹して隅々まで転移無しの確認後に閉じて下さったと聞き、先生方に出会えて良かったと心から感謝をお伝えしました。

手術翌日には歩いて病室内のトイレに行き、翌々日には看護師さんに見守られ乍ら病棟内をゆっくり2周歩きました。

その翌日には3周、次の日は1日に2度、そして3度・・・

7か月前に経験した大きなお腹の傷跡や痛みにはすっかり慣れっこでベッドの柵につかまりササっと起きる姿に、どの看護師さんも目をパチクリして驚いて、「大丈夫ですか?わぁ、凄い〜。」と褒めてくれました。笑

だけど大手術も傷跡も点滴も平気なのに朝夕2回の血栓予防の皮下注射が痛くて怖くてトラウマで。😭

「十分歩いてるし私は血栓は出来ないと思うよ。だからお願い、先生。これもう止めてもらえない?本当にほんとに嫌なんだけど〜。」って主治医に何度泣きついたか知れません。

毎日しつこく懇願していたら耐えられなくなったのか、先生は通常より1日早く止めてくれました。

今回も主治医の祐奈先生や大斗先生をはじめチームの先生達、沢山の看護師さんや関係者の皆さん、応援して下さる皆様に命を助けて頂きました。

頑張って手術を乗り越えたと思ったら早速今月末には1週間の入院をして新しい化学療法の再開です。

然もそれは最大2年間ほどの気の遠くなる様な長期治療だそうです。

私が頑張ってみたところでなる様にしかならない事はわかっていますし、頑張り過ぎるなと言って下さる方もいますが、頑張って気を確かに持たなければ2年間もの治療は私にはとても乗り越えられません。 

時々1人でいる時にとても残念になります、こんな事で時間を無駄にしている自分が。

社会から取り残されていると不安になって焦って、でもどうにもならない現状に途方に暮れる時があります。

でも私はまだ生かされています。

もう2度も皆さんに命を救ってもらえました。

いつまでも自分を悲しんで足踏みしているわけにはいきません。

諦めない先生方と絶対に良くなると信じてくれている大切な人達。

私は私の為に、先生達や大切な人達の為にこれからも頑張ります。

いっぱい泣いたら優しい人になれるでしょうか。

なれたら良いな。