銀座のトリル 03-3572-8228

4月 2025

強まる日差しに夏への移ろいを感じる季節を迎えました。

変わりゆく季節のなんて速いことでしょう。

皆様いかがお過ごしですか。

私はやっと先週末に退院の目処が立ち、なんと45日振りに懐かしの我が家に帰る事が許されました。

いよいよ土曜日に念願の退院です。

酷くなる前にギブアップして助けを求めれば良いものを、私という人間はそうなると余計に頑張って耐えようとしてしまう向きがあります。

今回は娘の目に留まり即病院へとなったのですが、1人だったらもう4、5日は我慢していたと思います。

少し回復した頃に主治医から、「あの日が限界。危なかったよ。」と言われて、

へ??笑

少しは食べれていたはずが何も喉を通らなくなり最後には水分さえ身体が拒否し始めたのに、“これは良くないなぁ。でも来週の火曜日が診察日だからそれまで何とか頑張ろう。何とかなるんじゃないかな。”

世の中には、特に病気は自力では何ともならない事の方が圧倒的に多いとそろそろ自覚した方が良いとは思うのですが・・・。

娘にしがみ付きながら病院まで来て、『脱水症状で即入院!』となり、連日24時間の点滴治療が始まりました。

2週間もすれば良くなって帰れるだろうと簡単に考えていたのですが、頑張り過ぎた身体はなかなか元には戻ってくれませんでした。

点滴治療と並行して様々な検査を受けたところ、根本的な原因は化学療法の副作用による腸炎だと判明しました。

そこからは腸炎の治療も並行して行ったのですがこのステロイド治療が速攻効いてあっという間に体調が回復、なのに徐々に分量を減らしていく作戦で、

地味。。😆💦💦

最終的には朝30分のステロイド治療1本だけになり痛みも不快感もなく何もする事がなく、食べては寝るの生活で。

今日は入院してから何日目か毎日毎日指折り数え乍ら、せめて退院後の体力作りにと院内を歩き回るものの30日を過ぎた辺りから暇過ぎて精神的にかなり参ってしまい。

忙しそうなナースさんやお掃除の人がただただ羨ましくて働きたくて。。

ダメだ!ボケる。。

今回も沢山の方からご心配や励ましのメールを頂きました。

いつもありがとうございます。

毎朝毎晩病室に来て下さった主治医の大斗先生、お世話になった病棟の先生達、そして優しいナースさん達、関係者の皆様にも心から感謝を申し上げます。

ありがとうございました。

皆さんのお陰で連休明けにはまたお店に復帰出来そうです。

どうか皆さんが私を忘れずにいて下さり、会いに来てくださいます様に。。

春色が日増しに濃く感じられるようになりました。

皆様お変わりございませんか。

と言いながら私は不覚にもまた3月13日から病院に逆戻りしてしまい今回で4回目の入院で、

日増しに濃くなる春どころか花冷えの春と言ったところです。

今回も抗がん剤の副作用でダウンです。

罹患して闘病生活に入ったのはもう3年前になります。

“これではダメだ、病気のことばかり考えていては。何か楽しい事を見つけよう。”と頭を切り替えようとするのですが、残念ながら毎日どこか具合が悪くジワリジワリと脳が病脳に侵食されていきます。

毎日が自分との闘いです。

病気の話ばかり書きたくなくて楽しいことが見つかるまでここから離れていようとしていると、「ママ、またブログが止まってるよ。何か起きてるな?」

げ!🤪

具合が悪そうだと様子を見に来てくれた娘が一瞬で、“あっかぁ〜ん”と思ったよと話していました。

私は顔も身体も真っ茶色になっていて、病院に行くから着替える様にと何度座らせてもベッドにくらんと倒れ込んでしまうのだそうです。

娘はどうやって病院まで私を連れて来たのか。

マンションのエントランスとかタクシー乗り場とか人がいる所だけはシャキッと歩いた記憶がありますが、他は殆ど何も覚えていない私です。

知ってる人に見られたら困るもの、偉いぞ私。

頑張った、娘。。

少しずつ体力が回復してくると、娘が小出しでその時の話を笑って話始めました。

私はこの世で1番見せてはいけない人間にいけない私を見せてしまった様です。

先日は茶色に変身した私の絵を描いて見せてきました。

今まで私が馬鹿だアホだと笑い物にしてきた娘に私は一生笑い物にされるのです。

ヒェ〜〜。

娘は話を盛るからなぁ。

ウケた話は何年も話続けるし、忘れた頃にまたもうひとつ盛って話すんだから。。

ま、いっか。

泣かれるよりはね。

私は少し歩ける様になって回復したのを良い事に、毎日面白いこと探しをして院内を歩き回っています。

白衣を着た賢くて真面目な人って面白いです。

いっぱい見つけて、またお店で話したいです。

頑張ります。

待っててね。。