銀座のトリル 03-3572-8228

Blog

ママのぽわぽわ銀トリ日記♪
店内にて

ほんの2、3ヶ月前にクリスマスケーキを食べた気がするのですが、早いものでもう年の瀬ですね。日に日に寒さが厳しくなり冬らしくなって参りました。皆様、いかがお過ごしでしょうか。風邪をおひきになりませんよう、どうぞ温かくしてお過ごし下さいませ。

12月1日、銀座のトリルは開店9年目を迎えました。8年もの間お店を維持出来たのは、偏にお客様のお陰と感謝しています。お忙しい中いつも足をお運び下さいましてありがとうございます。今後も皆様に来て良かったと喜んで頂けるよう、スタッフ一同尚一層努力して参りますので、どうぞ末永くお付き合い下さいますようよろしくお願い致します。

昔から私はお誕生日会や周年記念など大袈裟な行事が苦手で、今年の記念日も例年通りどなたにも話さずいつも通りの営業をと決めていました。周年の数が増える度に目に見えない重圧や責任といったものが肩に重くのし掛かってきます。開店当初もプレッシャーで押し潰されそうでしたが、今から思えばあの頃はまだまだ脳天気な私でした。開店して1年が経った夜、ホッとしてよく眠れたことを覚えています。

偶然ですが12月1日へと日付が変わる瞬間に、私はカウンターの裏にある時計を見にお客様のお席を一瞬離れました。9年目を迎えたことを確認して後ろを振り返ると、お客様のパフォーマンスに店内は爆笑の渦でした。娘も声を出して笑っていました。マスターもグラスを洗いながら笑っていました。もしこんな夜に1人でお店の隅に座っていたらどれ程辛かっただろうかと、皆様の笑い声が有り難くて涙が出そうになりました。

先日あるお客様が、「良く頑張ってきたねぇ。トリルが出来た時に生まれた子供は小学3年生なんだね〜。あと3年すれば中学生になるんだよ。ママ、頑張って。」と言って下さいました。その瞬間にお店を持つまでの苦労や開店してからの思い出が蘇り、身体が小刻みに震えてきました。長く厳しい銀座生活でした。

私もやっと小学3年生です。もう3年したら中学生になります。私は高校にも、出来れば大学にも行きたいです。私は成人し、色んな苦労を乗り越えて立派な大人になりたいです。いつも支えて下さる皆様への感謝の気持ちを忘れずに、心に少し危機感を持って一歩ずつ前へ前へと進みたいと願っています。

今までありがとうございました。そしてこれからもどうぞよろしくお願い致します。

母・城ヶ崎にて

母に長い手紙を書きました。母は何かというと直ぐに手紙を書く人で、大学で自宅を離れた私の元にも月1ペースで送ってきていました。書き出しはちゃんと食べていますか?とかお友達とは仲良く出来ていますか?で、中身は父と自分の暮らしぶりについて、締めは元気で頑張る様に大体いつもこんな感じの変わり映えしないものでした。手紙を送っておいて直ぐに、「手紙送ったんだけど届いてる?」と確認の電話をしてくるのですから、青春時代を謳歌中だった私は最初から電話で良いのにと何度思ったかしれません。

母がどんどん私を忘れていきどこかの親切な人だとしか思わなくなった今頃になって、私は無性に母に手紙が書きたくなりました。今更、何を書いて教えようというのか、母はもう文字は読めても内容は理解出来ないかもしれないのに。それこそ何を今更なのですが。

書いた手紙を母に手渡すと母は、「手紙?私に?今読んで良いの?」って10代の女の子みたいに喜んで、丁寧に封を切り便箋を開くと声に出して読み始めました。私の書いた手紙は手紙というよりまるで母の説明文で、母は途中で何度も、「どうしてこんなこと知ってるの?」と聞いてきました。母が父の事業を手伝って一生懸命働いていた部分になると、「 そうだった。あの時は大変だった。楽しかったけどね。」と言って笑いました。最後まで読み終わると、「 ちょっともう1回読んでみようかな。いい?」と言って結局母は3回も読み返し、「そうそう。あの時は大変だった。楽しかったけどね。」って。

翌日、母がお世話になっている施設を訪ね陰からそっと母を見たら、ミッソーニを着たおばあちゃまと何かの話で盛り上がっていて、「そんなことしたら蹴っ飛ばされるわよ。」って2人で大笑いしてる。こっそり母の個室を覗いてみたら昨日の私の手紙がテーブルの上にポツリ。昨日、私がそこに置いて帰った。そのままの状態で。

母は今を生きてるんだ、小さな子供のように。人の心配ばっかりしてないで、あなたはあなたの事を一生懸命やりなさいよって言われた気がした。

小さな私の手を引いて前を歩いていた母に突然置いていかれたようで、寂しくて・・・

母・娘・伊豆にて

台風21号が西で猛威を振るったと思ったら今度は北海道の地震と、大きな災害が次々と日本を襲っています。いつそれが自分の身に起こっても不思議ではありません。被害に遭われた方々に1日も早く元の生活と心の安定が戻りますようにとお祈りしています。

先週から私は母の持ち物整理を始めました。まさか私がこんなにも母親の持ち物を触ることになるなんて思ってもみませんでした。母はいつまでも元気でいるものだとずっと思っていました。お恥ずかしい話ですが私は母の名前が本当は難しい方の字だった事をほんの数年前に知りました。賢くしっかり者の姉が亡くなり出来の悪い私が残ってしまうなんて、母はどんなに不安だったことでしょう。

少し前に真矢みきさんが痴呆症のお母様の事を書いている文章を読みました。お母様が真矢みきさんを娘だと認知出来なくなったという短い文章でしたが、娘としての辛さがよくわかって読みながら泣いてしまいました。私も母に、「他の事は全部忘れても大丈夫。だけどどんな事があっても私だけは忘れないように。」と声を掛け続けてきました。母はホッとした顔をして嬉しそうに、「 そう?忘れても大丈夫?あなたは私の娘!それは絶対に忘れません。」

でもそんな遠くないいつか、きっと母は私も忘れるのだろうと思っていました。

 数週間前、母を訪ねた日。私を見て母はこの人は良く知っている人だけど誰だったかな?という顔をしました。親そうに話はしていましたが母は最後まで1度も私の名前を口にしませんでした。私も母に私が誰だかわかってる?とは聞けませんでした。それはあまりにも突然にやってきて、現実を受け入れる勇気が私にはありませんでした。母に忘れられる辛さはどんな言葉に置き換えることも出来ません。

娘に手伝ってもらいながら母の洋服の整理をしていたら見覚えのあるスーツが出てきました。それは昔、私が母にプレゼントした物で母はよくそれを着てお友達と出掛けていました。「もうおばあちゃん着ないよね。」ってゴミ袋に入れて。

整理が終わる頃、私の気持ちも吹っ切れた気がしました。

私なんか忘れて良いし、忘れられたって母と私は何も変わらないんだし。

それよりしっかり最後まで頑張って。

痛いところがないと良いね、知らないうちに逝けたら良いね、お母さん。

 娘としてそれだけを願ってるよ。

私・店内にて

こんなに台風にビクビクしていた年が今まであったでしょうか。台風13号以降、非常に強い勢力で日本へ台風が上陸した例はありません。もし21号が非常に強い勢力で日本に上陸すると25年ぶりとなります。早めに暴風雨への対策を行ってください!だそうです。どうか何事も起きませんように起きても大事には至りませんようにと願うばかりです。皆様もどうぞお気をつけて。

ここ最近私が見る夢は些細なことでカンカンになって怒鳴り散らしているものばかりです。いつも笑顔で良い人間のフリをしている反動でしょうか。笑

3日前の夢は最高に怖い私の最低な夢でした。我が家はお手伝いさんをお願いすることになり、(夢ですよ。)どんな方が来て下さるのかとワクワク待っていたら、現れたのは宇宙人がカツラを被っているような女性でした。早速お掃除をお願いして様子を観察していたら、まぁ〜雑で。

クルクルっと丸く拭くだけ、パッパッパッのサッサッサッ〜。流石に我慢できなくなって、「角はどうしたのよっ!!ここは宇宙じゃないんだから。地球には四角いものがあるの!四角いものって角の隅っこが大事なのよ。」

って何の話?

今朝見た夢も私は怒っていました。相手は三越の偉い人みたいで、店員さんからどんどん偉くなってったオバちゃんでした。私がお客様へのプレゼントでどちらの靴下にするか迷っているところにそのオバちゃんがツカツカとやってきて、私の手からパッと靴下を取り上げると靴下を撫でながら、「どんだけ迷うの?私なら絶対この子ですけど。あなたのお客様には絶対この子、こっちのこの子は似合わないと思うわ。この子よこの子。この子に決めな!」って。こ、この子?

靴下ですけど?

決めな!って、お客様に対してそれはおっかしいでしょ?然もさ、なんでそんなに撫で回してるの?それそのまま包むんじゃないんでしょうね?私が買ってプレゼントするのに、何であなたが念込めてるわけ?気持ちわるっ!やめてもらっていいですかっ!!!

しょーもな〜、。笑

怒りが頂点に達した時に目覚めるせいか寝起きは最悪です。こんな夢ばかり見ていると、もしかしたら心を病んでいるのかと気になってきます。早く心療内科を受診した方が良いかもしれません。でもお医者様に宇宙人や靴下撫でる話をするのはちょっとね。そこで受診の前に調べてみました、夢占い。

あなたが怒る夢は現実で抑えつけている感情が夢の中で発散され、心のわだかまりが解消されていくことをあらわします。気分も明るくポジティブな感情を取り戻し運勢が少しずつ好転するでしょう。怒る行為はエネルギーがある証拠なので、前向きなパワーに変えて突き進んで下さい。

エネルギーだったか。

店内にて

台風13号は心配していた程の風も雨もなく大人しく東京を通り過ぎて行ってくれました。これからの東北地方でもどうか何事も起きません様にと願っています。

酷暑と猛暑がミックスした様な月曜日、お店に出勤して1番最初にエアコンのスイッチを入れたのに、いつまで経っても涼しくならない事に気付きました。

マスターが。笑

金曜の深夜までは確かにエアコンだったのに週末の間にただの扇風機になったのです。マスターが一向に涼しくならないと言うので、私は慌ててリモコンまで走って行きました。見るとエラーの赤いボタンがぴこぴこ点滅していて、他のボタンを強く押したり優しく押したりゆっくり押したり素早く押したり全部1度に押してみたりしてみましたが点滅は相変わらずぴこぴこ。

マスターはがっくり肩を落とした私の前に小型のサーキュレーターを置き、屋上の室外機を見に行ってくれました。私は生暖かいサーキュレーターの風の前でなるべく動かないようにじっとしていました。マスターは汗だくで戻ってきて、「室外機見てきたんですけど全くわかりません。」って。

マスターなのにぃ?笑

「少しこっちに座って風にあたって。」と声を掛けるとマスターは、テーブルを挟んで私の前に座りました。お店のサーキュレーターは上下するだけで左右に動いてはくれません。私がサーキュレーターをマスターに向けると、マスターは静かに私の方に向け直してくれました。

マスターは、「もう1度見てきます。」と言ってまた屋上に行きました。今度はなかなか帰ってきませんでした。戻ってきたマスターはさっきよりもっと汗だくになっていて、「暗くてサッパリわかりません。」

え〜

「室外機からホース出てるでしょ。あれを引っこ抜いちゃったらどうだろう?少し残して切っちゃうとか?お水が詰まってるから涼しくならないんだと思う。ホースよ、ホース。」って言うと、マスターは小さな声で何かブツブツ言いながら、「ちょっと見てきます。」

戻ってきて、「ないです、ホース。」

 「なんで?」

「・・・・」