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Author: もあママ

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病院にて

先日8か月ぶりに、勇気を出して母に会いに行ってきました。

自分の母親なのになんて親不孝な奴だと思われるでしょうか。

昨年の5月に癌と告知された時に施設に簡単に事情を説明して、「暫く会いに行けないけれどどうか母をお願いします。」と言ったきり私は1度も母に会いに行っていませんでした。

私を娘と認識出来なくなった母ですが、私はどうしても母に癌になってしまった姿を見せたくなかったのです。

母に申し訳ない気がして。

手術が終わって退院したら行こう、抗がん剤が始まる前に行こう、終わったら行こう、元気になったら行こう・・・でもいつまで経っても私は元気にはなれませんでした。

抗がん剤4回目が終わった後に、『なんか良くなっている気がしないなぁ。』とふと思った事がありました。

そんな事を思ったら良くなるものも良くならないと必死で自戒しましたが、その予感は打ち消しても打ち消しても消えませんでした。

もう1回で抗がん剤治療が終わると言いながら、治療が終了した年末も大して嬉しくありませんでした。

そしてお正月明けのCT検査の結果は転移の疑いあり。

やっぱり、でした。

今は更に詳しく検査をして来週末の結果発表を待っているところです。

悪い予感ってどうしてこんなに当たるのでしょう。

元気になったら行こうと思っていた私ですが、それがいつになるかわからなくなったので母に会いに行ってきたというわけです。

母は8か月前と変わらず元気でいてくれました。

私を誰かわからないけれど全然知らない人ではないなという様な微妙な顔をして見ました。

「握手しよう。」と言って母の手を握ると、何故か母は私の手や腕を撫で始めました。

子供の頃から母は私が疲れていると必ず、「俯せになってご覧。背中を押しておげる、楽になるから。」と。

それを思い出して私は堪えていた感情が吹き出して・・・

娘が、「お婆ちゃん、私も撫でて。」と手を出したのですが、母は娘の手を一瞬握ってポイッ!笑

また私の目を真っ直ぐに見て手を撫で始め、それは面会時間が終わるまで続きました。

まるで母がわかっているよと言ってくれている様で、大丈夫だと励ましてくれている様で、

「お母さん、私、癌になってしまったわ。ごめん。お母さん・・・助けて。」

娘ほどの若い先生が、「転移していたらですが良く効く薬があります。良く効いて完治した方もいます。」と言ってくれました。

私は先生が私を家族の様に思い最良の治療をして下さっていると信じています。

ここが私の頑張りどころなんだと、不思議な事に癌に罹患して初めて今、私は強くそう思います。

また不安と恐怖と孤独に押しつぶされそうになり涙が止まりませんが、何度突き落とされても私は必ず立ち直り闘い始めます。

もう直ぐ復帰と思ったけれどどうなるでしょうかのお知らせでした。🙇‍♀️

御代田にて

明けましておめでとうございます。

本年もどうぞよろしくお願い致します🙇

今年は元旦から悲報続きで心穏やかなお正月とはならず、寒さがことのほか厳しく感じられます。

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

数年前に1週間ほどかけて車で愛知、福井、石川、富山と旅をしました。

私はその時が初石川県で母から輪島塗りの食器を譲り受けていた事もあり、旅のメインを石川県に設定して他県より長く滞在しました。

金沢市内を楽しんだ翌日、車は輪島朝市通りから能登半島、そして和倉温泉へ。

半島一周の途中で立ち寄った珠洲市塩田村の塩ソフトクリームは絶品で、今でも我が家が旅先で食べたご当地ソフトクリームの不動の1位、忘れられない味になりました。

帰宅してから何度も旅の記録を写したビデオ鑑賞をしては、「またあの塩ソフトクリームを食べに行きたいね。だけど能登半島は遠かったよねぇ。」と懐かしく話していました。

揺れが落ち着き震源地は何処だろう?とテレビをつけたら、見覚えのある街並みの変わり果てた姿が映し出されショックで固まってしまいました。

そしてその翌日の羽田の事故。

こんなお正月は初めてです。

東北の地震から数年後に、車で被災地をぐるりと周りました。震災中から落ち着いた頃に被災地を訪ねたいと思っていて、やっと念願が叶った旅でした。目についたお店というお店に入って行ってワカメを買ったり海苔を買ったり手を合わせたり。

たったそれだけしか出来ませんでしたが、それが私の気持ちでした。

石川県にもまた必ず時間を作って行こうと思います。

昨年は私にとって苦難の年でした。サービス業の端くれとして、ここでは話したくない辛い事が沢山起きました。

でも私は何故かまだ生きています。

生きている事が当たり前だった毎日が突然終わった時、その意味や理由を何度も探しました。

そしてわかった事。

私は私の生に意味が欲しいだけで元々理由は何もなく、私はたまたま産まれてきて生き存えているのだという事。

私はたまたま産まれてきましたが、今生き存えているのには理由があります。

私には辛い時に辛いと正直に話せる家族や医療関係者や大丈夫だと支えてくれる友人や、回復を待っていてくれる人が傍にいます。

励まし合って一緒に生きて行きたい人が沢山います。

1日も早く元気な私に戻って今度は私が、「あの時はありがとう、大丈夫だからね。」と言う番です。

私が今も生きているのは孤独ではなかったからです。

今、年末に6回目の抗がん剤治療を終えて火曜日に各種検査を済ませ、金曜日の検査結果を待っているところです。

何度経験してもこの待ち時間は不安で慣れません。😿

どうかまた皆さんのパワーを送って下さい。

良い結果を聞きせっせとリハビリに励み、1日も早く職場復帰したいです。

皆さんにお会いして、「ママ、良く頑張ったね。」と褒めてもらう為に頑張ります。。笑

今年も本当に本当によろしくね。

すっぴんでウィッグ
強羅にて

年の瀬を迎え寒さ身に染みる季節になりました。

今日のお天気で富良野がマイナス22度になっていて、マイナス22度の想像が全く出来ずただ驚いてしまいました。

5月に立ち寄った富良野チーズ工房や白樺の木立、大丈夫かな。

皆様、お元気ですか。

12月1日に5回目の抗がん剤治療を受けました。投与3日目頃から出る副作用は前回までの後遺症に今回の分が蓄積され、涙が出るくらいキツいものでした。

私はかなり忍耐力があり余程の事でもない限り弱音を吐かない我慢強い人間だと思っていましたが、今回ばかりは超、超、ちょう弱虫でした。笑

横になっていると耳の近くで、「1番痛い時を10とすると今は?」と看護師さんに聞かれる錯覚を起こしてムカついたり、毛布を被って愚痴りまくりのキレまくりでした。

それでも、「10とすると?」9はいつの間にか6に6は4になっていき、ベッドよりソファーの上にいる時間が日に日に増えていきました。

青色吐息でやっとの思いでここまで回復しました。

それなのに明日は6回目の治療です。

ガァ〜ッ!!😭

でも残り1回です。

後1回〜♫です。

今回を耐えれば、予定の6回の抗がん剤投与からは解放されます。

長く生きてきて、今まで色んな経験をしてきました。

物心ついてからの私の経験の殆どは私に選択の主導権がありました。沢山の失敗を経験しましたがそれは納得の自己責任で、済んでみれば良い経験だったと言えるものばかりでした。

ところが今年の私の経験は・・・

ある日目覚めたら突然目の前にドッカ〜ンと巨大な岩が落ちてきて、アタフタしながら何処かに楽な抜け道はないかと探していたら、「じたばたしてもだめですよ。ピッケルをあげるから頑張って登るか、何もしないか、どちらかしかないですよ。でも早く登らないとヤバいですよ。」と誘導する天の声?がしてビビって慌てて登り始めた感じです。

初めは断崖絶壁に見えた大岩は意外と緩やかで、「脅かさないでよね〜。」なんて言っていたら段々とんでもない急斜面になってきて、急いでポケットからピッケルを取り出したら、“なんじゃこりゃぁ、ちっちゃ。”みたいな。

下りはどうなってるの?とか登らなければヤバくて登ると楽勝なの?とか、色々聞いてみたいのにあれきり天の声?はピタッと聞こえません。

今年の私の経験は成功なのか失敗なのか、いつか良かったと思える日が来るのか、それは私にはわかりません。

求めた意味や結果は登り始めて直ぐにもしかしたらないのかもしれないと思えて、答えを探すのはやめました。

私は小さなピッケルを片手に握り締めて、仕方なく。

周りを見渡す余裕もなく無様に打ちのめされて、それでもまた立ち上がる私をただ誰かに見ていて欲しくて。

これが年内最後のブログになると思います。

アップ後に、「ママ、ごめん。ちょっと笑ってしまったわ。」とお返事を下さる方が数名いらっしゃるのですが、そう言って頂けると何だかとても嬉しいです。

今年も大変お世話になりました。

いつもブログを読んで下さる方に、

メッセージを送って下さる方に、

静かに見守って下さる方に、

お店を訪ねて下さる方に、

留守を守ってくれるマスターとアコちゃんに、

家族と親族に、

私に関わって下さる全ての方に心から感謝を。

ありがとうございました。

皆様、どうぞ良い年をお迎え下さい。

伊豆高原にて

明後日には年の瀬を迎え、今年も余日少なくなって参りました。

皆様いかがお過ごしでしょうか。

「12月中に残りの2回の抗がん剤治療を終えその後の検査で再発が認められなければ、当初予定の6回の投与が終了して以降は経過観察となります。」と女先生がにっこり笑って話してくれました。

軽くてラッキーと思っていた副作用だったのに3回目から段々重くなり、辛くなってきた4回目投与前の診察室での事です。

4、5日すれば楽になるのですがピーク時には、“やっぱり私も普通の人間だった。”と残念に思いながら痛みでいつの間にか眠っている事が多くなってきました。

残り2回だから、残り2回なんだからと最近は自分に言い聞かせて生きています。いつもは新年なんて来なければいいと思うのに、こんなに今年が早く終わって欲しいのは初めてです。

4回目の副作用クリアのご褒美旅行は伊豆半島でした。少し遠回りして修善寺のもみじ林に立ち寄り、私がお店で塗る口紅の様な葉っぱを見てきました。

修善寺は母がまだ元気な頃に来て以来、4年ぶりでした。母と私と娘で大きなお風呂に入りお揃いの浴衣を着て豪華な和食を堪能し、早朝の鳥の鳴き声に目覚め、庭園を散策。

真っ赤な葉っぱを見上げながら、“あの時はまだお母さんは自分でお箸を持って食べてたなぁ。”とか、“あの浴衣は3人ともちっとも似合わなかったなぁ”とかそんなことをふと思い出して、心からあの日に戻りたいと思いました。

戻って、母にありがとうをもっともっと言えば良かったと。

去年、自宅を出て他県で暮らす娘が、抗がん剤治療後に毎回お仕事を休んで看病に帰ってくれる様になりました。どんなに地震で揺れていたって1度寝たら絶対に起きなかった娘が、私が少し動く度にサッと目を覚まし、「大丈夫?どこが痛い?」と聞いてくれます。自分本位で自己中代表の様だった娘の変わり様に、娘の為には病気も悪くないものかもしれないとも思います。

親孝行したい時には親はなし

石に布団は着せられず!笑

どんなに願っても過去は変えられないから、ありがとうを皆さんに。

私を思って下さる皆さんに。

声に出してちゃんと伝えていこう。。

鴨川にて

秋も深まりすっかり日足が短くなりました。

皆様、お元気でお過ごしでしょうか。

10日程前からブログを書きかけては途中でやめて、下書き保存を繰り返していました。

明日の化学療法からいよいよ後半戦に突入なのでやっぱりその前にアップしておこうと管理画面を開いたら5個も保存してあり、然も読み返すとどれも3回目の抗がん剤の副作用がどうとかいうメチャクチャつまらない内容で・・・

うざっ!笑

誰がそんな事を知りたいでしょうか?

少なくとも私の周りにはそんな方は1人もいないし、私自身も1日も早く癌を忘れたいと思っています。

それなのにどうして書きたくもない癌話を私は書いてしまうのか、自分が不思議で仕方ありません。

で、少し前にニュースで癌になったと公表した芸能人のブログを読みに行ってみました。

すると・・・

毎日、癌日記。笑

これって癌患者あるあるなんですね。

さて熱海、箱根に続き、今回は鴨川に2泊3日のご褒美旅行に行ってきました。

6回の抗がん剤治療が決まった時、「副作用が楽になったら毎回2人旅する事にしない?それを励みに頑張るってどうかな?」と提案してくれた身内がいて、ふたつ返事で参加させてもらう事にしたのですが・・・

①車での移動は3時間以内

②お部屋に温泉or貸切露天風呂

③広くて手入れが行き届いている

④窓からの眺めが良い

⑤豪華な食事&朝食は絶対に洋食

⑥ベッドはセミダブルのツイン

を強く要望!😆

誘ってくれて本当にありがとう。

お陰様で後半戦もしっかり乗り越える事が出来そうです。

そしていつか必ず、“あれ?今日は1度も癌の事を考えていなかったわ。”と思える日が来る様に頑張り続けます。

それから・・・

元気になっても時々2人で旅をしない?

普通の日の何でもない旅を強く要望。。